2018年4月15日~26日、トルコグランド周遊12間ツアーに参加しました。季節は同じ春です。
関西国際空港7時30分集合。加古川5時20分発高速リムジンバスで、ドキドキわくわくの旅、
いざ出発です!!。 関西国際空港9時30発
ソウル仁川国際空港11時25分到着。 乗り継ぎソウル発13時40分。時間があるので空港内
うろうろです。国際線各都市への乗り継ぎ空港として、
よく利用されている空港です。
又、毎年行われる世界の空港ランキングで常に上位に
ランクしている空港です。さすが綺麗!!
ソウルからイスタンプール所要時間12時間
名古屋から参加の人たちと合流、総勢23名で
飛んでイスタンプールへ、レッツゴー 
5時1分 機内食です。昼食? 夕食?
2回目の機内食 日本時間23時52分 間違いなく夕食 眼下に雪を被った山々 日本時間0時01分
高度が低くなってきました。もうすぐ着陸 日本時間1時52分イスタンプール
アタテュルク空港が眼下に・・ 
イスタンプール アタテュルク空港到着時差は
丁度6時間で、15日20時です。 空はまだ明るいです。
イスタンプール アタテュルク空港
空港から20分程で今晩のホテル到着 お部屋です。

4月16日2日目です。8時出発 朝食後、トロイへ約330km/約5時間。途中ダーダネルス海峡
ゲリボル港からラープセキ港へとフェリーで通ります。昼食後、世界遺産トロイ遺跡観光へ・・
観光後アイワルクへ約150km/約2時間30分 ホテルへと
6時朝食バイキング ヨーグルトか? 野菜類 
チーズの種類が半端じゃない(@_@) ハム類
パン ??
ジャム類 ロビー8時集合
ホテル ホリディ イン エアポート外観 車窓・イスタンプールの町並み
車窓・イスタンプールの町並み イスタンプールから1時間も走ると町並みが
消え、見渡し限りの平野が・・
2時間走行で、トイレ休憩 一面の黄色は油抽出用の菜の花だそうです。
一面に広がる菜の花 3時間40分程でゲリボル港到着
フェリーから、ゲリボル港 街並みを・・ ダーダネルス海峡をフェリーで渡ります。
車窓・町並みを エーゲ海沿いに建つホテルで昼食タイム
サラダ・スープ・パン
南京のデザート 
魚料理 鯛のようです。味がないので塩を
振って頂きました。 お米も長い 
目の前はエーゲ海 時間があったので海岸まで下りて行きます。
真っ直ぐに海に続く橋。先まで行ってみました 橋の先からホテル方面を・・
ワイド・・・トルコ西部、エーゲ海を数キロ先に見渡す丘に広がるトロイ遺跡は、ドイツの実業家
ハインリッヒ・シュリーマンが1870年から3年を費やして掘り当てた遺跡。
古代ギリシアの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』によれば、トロイは王妃ヘレネをめぐり、ギリシアと
10年におよぶ戦争(トロイ戦争)となり、「トロイの木馬」の計略により、一夜にして陥落した伝説の都
昼食場所から30分程でトロイ遺跡到着。
イヤホーンガイドを付けて見学始まりで~す。 
城壁の側を順路に沿って進んで行きます。
トロイが一番繁栄していた頃、第6市の城壁と門
いくつかの城壁の跡の間を通り抜けて階段を上がると見晴らしのよい丘の上に出ます。
トロイの歴史は、紀元前3000年にさかのぼる。ここで初期の青銅器文明の時代に集落がおこり、やがてエーゲ海交易の
中心地となっていた。エーゲ海と黒海を結ぶダーダネス海峡のエーゲ海側の出口に面し、文明の海上交差点といった
位置にある。初期の集落から古代ローマ時代までの3000年の間に9度起こり9度滅んだといわれています。
遺跡は最初の第1市から古代ローマの第9市までが見つかっています。
発掘され、無造作に転がる白い大理石が美しい。 シュリーマンが最初に遺跡を見つけた場所で、多くの財宝がここで発掘されたといわれています。しかし、どう見ても金銀宝石が発掘されるような場所には見えません。財宝は現在サンクトペテルブルクにある美術館に展示されているとか。 
9層の遺跡がわかるように発掘されている場所。
第六市は大地震によって崩壊したとみられ、その後、第七市が建設されました。紀元前1180年頃までの第七市もまた、その発掘品から「イリアス」のトロイではないかと言われています
城の中心地の宮殿に続く石造りの坂道。
城の中心地の宮殿付近をワイドで・・
宮殿想像図 今は城壁が残るのみのトロイ遺跡
ロマンを感じながら巡って行きます。
ローマ時代には、さまざまな儀式も行われ、
生贄の儀式もよく行われたようで、写真の井戸の
ようなものは生贄の血をためていたといわれる井戸。
ローマ時代の小劇場・オデオンの跡。規模は小さいが、
当時は木製の屋根がついていて、

音楽や劇や集会などが行われていたという。
第六世代の城壁 後方のテント下は修復中 第六世代の城壁 宮殿想像図
遺跡周辺は花盛り 葵に似た可愛い花が一面に・・・
遺跡の入り口には1975年に複製された大きな木馬が
立っており、木馬はがっしりとした作りで、上の階まで
登ることができていましたが、今は入ることが出来ません。
10年続いたトロイ戦争を終結させることに
なった巨大な木製の馬。この木馬の中に
兵士が隠れていたとされています。
トロイ木馬前でイケメン戦士と記念撮影
木馬の頭が欠けているのが惜しい!!
トロイ遺跡から約150km
(2時間30分)アイワルクへ・・・
途中トイレ休憩 休憩場所に我が家の“しろニャン”そっくりの猫が
今晩宿泊地 ホテル グランド テミゼル 18時到着 ホテル グランド テミゼル 外観
ロビー 広いロビーです。
夕食までホテル内ウロウロ お部屋です。
ホテル窓からエーゲ海と町並みを・・・
トルコ風呂を見学 全て大理石のようです。 温水プール
デザート ケーキは甘すぎる。 分かる物だけをチョイス
足マッサージを受け2日目終了。


2018年4月17日、3日目です。8時出発宿泊地アイワルクからベルガマへと約65km(約1時間)世界遺産、古代の医療施設アスクレピオン・ アクアポリス、観光後昼食。食後エフェソスへ約180km(約2時間30分) エーゲ海最大の遺跡が残る、エフェソス遺跡・聖母マリアの家・アルテミス神殿へと盛り沢山の観光です。・・観光後クシャダスのホテルへ。
朝食はバイキング6時早いです。
パン・果物・スープを頂きます。
8時出発 食後ホテル周辺ウロウロ
プールも完備されていますが水は入っていません
プールの側に子猫ちゃん 約1時間(9時)で古代医療施設アクスレピオン到着
ペルガモンが栄えた紀元前4世紀からの施設で、ギリシャの医神アスクレピオスの神託を授かる場所でした。隣に陸軍基地があるので、写真撮影には気をつけるようにと注意を受けます。 
遺跡の入り口に位置する「聖なる道」。現在は150m程の距離ですが昔は850m程あったそうです。道の脇に当時建っていた
柱の名残が残っています。緩やかな上り坂となっています。
「聖なる道」を登りきると
目の前に広場が現れます。
わんちゃんが先導してくれました。 ここはプロピロンと呼ばれており、当時は病院の受付の様な
場所だったそうです。
入り口付近には彫刻された柱の根元が
あります。彫刻はこの地方に伝わる故事で、診察を断られた
病人が蛇の毒で服毒自殺を図った所、逆に完治したという
話を元に作られているという逸話があります。
説明板に復元想像図 広場から少し奥に行くと、列柱が建ち並んでいます
聖なる泉。今でも水が湧き出ています。 さらに奥には小劇場が広がっています。
小劇場では演劇などの患者を楽しませる催し物が
行われていました。専用劇場があるなんてすてきです。
全体をワイドで・・・
地下道へと進みます。こちらは治療に使われたトンネルです。
天井に開いている穴から「大丈夫、治ります」と
神のささやきが聞こえてきたそうです。
実際は医者の声だったらしいですが「神のお告げだ!」と
患者の喜んでいる顔が浮かんできそう! 
トンネルの先は・・半地下状態のためか施設の
状態がわかる程度に保存されています。
円形状の建物で昔は総大理石
張りだったといわれています。 
治療棟であるテレスポロス神殿です。
ギリシャ神話の神であるテレスポロスを祭っています。

この神様は治療の神様で、死者をも生き返らせる
力を持っています。
神殿の中は個室に分かれていて、そこでマッサージや
薬草を使った治療などを行っていました。

この治療院では「聖なる道」により重病人はふるいに
かけられますので、治癒率はとても
高かったそうです。
高台の下は半地下施設。 高台から小劇場の遺跡と大理石の回廊跡を望む
古代医療施設アクスレピオン駐車場からアクロポリスを望む。
アスクレピオンからバスで20分程度の山頂にある
アクロポリス遺跡へと向かいます。
ロープウェイ乗り場へと上っていきます。
ロープウェイ内からも石積みが見えてきます。
山全体が遺跡のようです。
ロープウェイ内眼下を・・・
遺跡入口 入口斜面に発掘された壷・石垣が残っています。
修理復元された城壁が目の前に現れます。
ペルガマのアクロポリス遺跡は標高335メートルの丘の上にあり、一群の建造物で構成されています。
山頂に宮殿、トラヤヌス神殿(ローマ時代のもの)、アテナ神殿、劇場、ゼウスの大祭壇、などの遺跡があります。
出土品の大半はドイツベルリンのペルガモン博物館の内部に復原・展示されているそうです。
アテナ神殿跡 紀元前4世紀頃のもの。
今は礎が残っているだけです。
アテナ神殿の礎
水道の跡 発掘された石が緑の草原に無造作に転がっています。
ポピーの赤と大理石の白が映えて綺麗 トラヤヌス神殿、ローマ皇帝ハドリアヌスが先帝の
トラヤヌスに捧げた全て大理石の神殿
正面は6柱、側面は9柱のコリント様式。約2千年前は
ベルガマ王国には15万人もの人たちが住んでいたそうです。 
トラヤヌス神殿 井戸の跡
遺跡反対側はダム湖。
城壁の隙間に黄色い小花がぎっしりと 遺跡とお花畑
順路に沿って遺跡の周りを一周します。 ベルガマの町を・・・
 丘の急斜面を利用してつくられた大劇場。
1万人を収容したというギリシア世界最大の急斜面の
野外劇場は景色も最高です。劇場全体は38mもの
高さがあります。紀元前3世紀頃建造、
ローマ時代に改装されたそうです。
トラヤヌス神殿
石積みとベルガモの町を・・・ ここからの眺めはすばらしく、ベルガマの町が
一望できます。
右側大木の辺りが、
空の神様【ゼウスの祭壇】の石積みが見えています。
最後にトラヤヌス神殿を振り返る。 きれいなアーチ。
ワイドで、トラヤヌス神殿とアテナ神殿跡を・・貯水庫、武器庫などが
あったようですが、ちょっと区別が付かなかったです。
ロープウェイ乗り場前のお店で、ザクロ100%の
ジュースで喉を潤しました。美味しかった
昼食場所 昼食はキョフテ料理
どんな料理??
 

昼食後約180km約2時間30分の移動です。
一路エフェソスへと・・・

まずは 「アルテミス神殿」 に案内されました。
紀元前16世紀以降、ギリシアから移住してきた人々によってエフェンスの街がおこされた。その中心となったのがアルテミス神殿。現在分かっている範囲で最も古い神殿の基礎は紀元前7世紀頃のものとされているが、実際にはそれよりも古い時代から何らかの神殿が存在していたと考えられている。

世界七不思議のひとつに数えられるほどの価値として認められてもいました。しかし、名だたる歴史家たちを唸らせた神殿もたった一人の若者の「功名心」から灰燼と化してしまった。
それは紀元前356年7月21日のことだ。一人の羊飼いが
「有名になりたい」「後世に名をのこしたい」あまりに、火を放ったのです。まるで金閣寺炎上ののギリシア版。
高さ19m、
直径1.2mの円柱を127本持った壮大な神殿は、6世紀に石材が運び出され、今では湿地に1本の円柱がぽつんと立っている
だけ、その柱の上にはコウノトリが巣を作っています。
 
前菜はバイキング
これがキョフテ料理 日本のコロッケのようです。
中身はミンチ肉みたいです。
後方の丘の上に見えるのは向って左がイーサ・ベイ・ジュミィ、右が聖ヨハネ教会。
聖ヨハネ教会には聖母マリアとともにエフェソスを訪れ、この地で亡くなった聖ヨハネが埋葬されているという。
神殿とモスクと教会が一つの風景の中に共存する場所。
アルテミス神殿遺跡に、
アヒルの親子がよちよちと・・・
20分程で、聖母マリアの家です。
鍵形の穴??
「聖母マリアの家」と呼ばれる家は5世紀ごろ信者たちの信仰対象・巡礼地となっていたが
その後1891年に小さな礼拝堂が「奇跡的に発見」されたドイツの修道者が啓示受けて、
それをもとに見つけ出されたといわれています。
下の駐車場から小聖堂に至る崖沿いの
緩やかな坂道には、聖母マリアが、すべての
人々を迎え入れるかのように立ってこの家の
伝承を記した各国語の案内板が並んでいる。

(トルコに来て日本語初めて見た!!)
日本語のそれには、「この地エフェソスは、イエス・キリストの
母・聖母マリアが最後にお住まいになった場所と伝えられて
いる。福音書・ヨハネ伝によれば、十字架に架けられた
イエスは、傍らにいた弟子・ヨハネに母・マリアを託したため、
ヨハネは母マリアとともに暮らした」。

ローマ法王も参詣したというから、かなり本当のことらしい。
内部は撮影禁止
住居横に内部の写真が置かれています。
聖母マリアの家 左入口 右出口
聖水の泉。 願い事の叶う泉とされ、この泉で手を
洗い、紙に書き込んだ願い事を壁に貼り付けて
くることでご利益があるといわれています。
日本の絵馬とかおみくじにそっくりです。
キリスト誕生の場面が人形で再現
20分でエフェソス遺跡到着
ヴァリウスの浴場跡、エフェソス内には複数の
風呂や泉などが残されている。
ヴァリウスの浴場は、エフェソスを訪れる人々、
外地から戻ってきた人々が必ず立ち寄って
旅の垢を落とす場所だったらしい。
エフェソス内遺跡へと進んで行きます。
遺跡入口から入ってすぐのところは、かっての行政地域。
集会や選挙などの政治的活動を行っていたステートアゴラ
(行政広場)、金融取引所としても機能していた聖堂、
そして音楽堂でもあり議事堂としても使用されていた
オデオンが密集しています。
前方、オデオン(音楽堂)エフェスの遺跡には2つの
階段状の劇場があります。規模の小さいほう、
エフェスの南側の入り口の近くにあり、オデオン(音楽堂)と
いわれている。当時は屋根があったそうです。
オデオン(音楽堂)へと・・・
小規模な「音楽堂」です。エフェソスでは、
このオデオンからセルシウス図書館まで
「クレテス通り」という道が通っています。
「プリタネイオンの柱」です。「プリタネイオン」は
「紀元前3世紀頃」に建設され、ローマ帝国の

「アウグストゥス帝の時代」 に完成しました。
ドミティアヌス神殿は、かってはエフェソスの街でも
最大級の神殿だったと言われています。
現在は数本の柱が残るだけですが、かっては巨大な
円柱が連なる壮麗な神殿だったということです
ニケのレリーフ「ニケ」は「勝利の女神」です。
メミウスの記念碑・・メミウスの記念碑といって、エフェソスが
ローマ帝国に反旗を翻したときに虐殺されたローマ市民を
悼むための記念碑とのこと。紀元前88年、ローマ帝国の
重税に苦しめられていたエフェソスの市民が暴動を起こし、
ローマ人を虐殺します。その後、ローマ軍によって、結局、暴動
は鎮圧されるのですが、暴動の際、犠牲になったローマ市民の
霊をなぐさめるために、この碑がたてられたとのだそうです。
クレテス通りはメイン通りとなっていました
クレテス通りにあるヘラクレスの門 トラヤヌスの泉・・泉と言っても、現在は泉らしきものは
見当たりません。しかし、元々はここに泉があり、
その泉を三面から取り囲むように高さ12mの2階建ての
建物があったのだそうです。
クレテス通りに上流階級の民家跡、
見学には別料金が必要。
高級住宅地前は美しいモザイクの道が。
当時のままだそうです。
ハドリアヌス神殿はローマ皇帝ハドリアヌス帝に
捧げられた神殿です。コリント様式の神殿で2世紀に
建てられ、4世紀に一度修復されたものを、近時
再び修復したものだそうです。
正面アーチの上のティケ女神や後ろの両手を
広げたメドゥーサをアップで撮ってみました。
公衆トイレ跡
エフェソスの公衆トイレは、オープンエア式。
大理石で作られた便座がベンチのようにズラリと
並び、催した面々はそこで腰を落ち着けておしゃべりを
しながら用を足したそうです。
便器の下は水洗下水、
手前の足元には手を洗うための上水も引かれていました。
クレテス通りを進むとエフェソスの華と言うべき
セルシウス図書館に出ます。
クレテス通りには、
アルシノエ4世の墓所もあります。「アルシノエ4世」は
「クレオパトラ(7世)」の「妹」です。彼女は「捕虜」と
なってエフェソスに連れてこられました。ただ、完全に
アルシノエ4世と確定した訳ではありません」とガイドさんが・・
セルシウス図書館
元々、ここはローマ帝国のアジア州執政官であったセルシウスの墓所でした。彼の息子が父の業績を
記念するために墓所の上に図書館を建造したのです。蔵書数は1万2千だったそうです。
建造時期は2世紀。本来は木と石が組み合わされた建物だったということですが、木造部分が焼失しており、
現在残っているのは正面入口部分だけ。それでも大変立派で美しい建物です。

図書館のすぐ隣にある門は、奴隷の身分から解放されたマゼウスとミトリダテスが3世紀に建てたものだそうです。
マゼウスとミトリダテスの門から中を・・・ 図書館を見上げる。細かい細工が施されています。
図書館の1階部分には4人の女性像が飾られています。
これはコピーでオリジナルはウィーンにあるそうですが、十分美しい。女性達は、それぞれ、知恵・運命・学問・
美徳を象徴しているとか。
図書館の門裏側に回って見ました。
今は何もありません。 
図書館前に今でいう遊郭の跡が・・図書館と娼婦の館が
地下道でつながれているという噂。
遊郭内部
図書館から娼婦の館を経て大劇場に通じる道をマーブル通りと言い、ここに娼婦の館の広告と
言われるものが残っています。この足型は、これより小さな人は立ち入り禁止という年齢制限の
意味だとか、この道の左手(左足)に娼婦の館があるという意味だとも言われています。
兵士の彫刻とネコちゃん
日本では絶対見かけない光景です。
マーブル通りに彫刻が施された柱根元
大劇場・・エーゲ海沿岸では最大規模の劇場だそうです。現在では海岸線は何十キロも離れてしまっているので、ちょっと信じがたいことですが、かっては、この大劇場のすぐそばに港がありました。海上貿易で栄えたエフェソスですが、次第に水路が狭くなり、船の航行が困難となって衰退していきます。現在では海は遠く、港町だったころを想像するのも困難となっています。
大劇場・・収容人数は2万5000人。
舞台から客席の最上段までは60m。

丘を背にしたすり鉢状の構造は音響効果に優れ、
今でもオペラやコンサートなどが開催されいるようです。
大劇場の前の道は全て
大理石でできています。
「ガイドさんが大劇場が一番きれいに見える処ですよ」と・・・
40分ちょっとで、ホテル ル・ブル到着(18時)
お部屋です。ちょっと狭いです
ホテルの窓からエーゲ海を・・・
ホテル夕食はバイキング 果物・デザートは盛り沢山あります
夕食後ぶらーっと散歩
20時を過ぎているのにまだ明るいです。
 3日目終了 よく歩きました・・・もりだくさんな一日でした!


2017年4月18日、4日目です。
朝食後パレッカムへ約185km(約3時間)移動です。途中革製品のお店にてショッピング
ショッピングはあまり興味はないです。行程に含まれているので仕方ないですが・・・
ショッピングの後は昼食、ドネルケバブ料理です。さてどんな料理でしょうか?楽しみです。
その後は2017年に新しく世界遺産に登録された【アフロディシアス遺跡】パムッカレ遺跡【ヒエラポリス遺跡】【石灰棚】観光後ホテルへと・・・ホテルはプール付です。
朝食メニュー ホテル ル・ブル 外観 8時30分出発です。
車窓・クジャダスの町並み 車窓・トルコの列車を・・・
革製品のお店 ファッションショー 綺麗なお姉さんイケメンのお兄さんが次ぎ次へと
洋服には番号が付いています。
イケメンのお兄さんと
腕を組んでファッションショーに参加です。
 
昼食場所 お店は木立の中あるようです。 サラザ スープ パン 何時ものパターン
お水の代わりにジュースを・・・濃厚です。
昼食場所は木立の中。前菜は良く分からない物が
出てきました。白いのはチーズのようです。
ドネルケバブとは削った肉のようです。果物はどこでも豊富
お店前から、このトラクターで
「アフロディシアス遺跡」入口まで行くようです。
トラクターにゆられ遺跡入口へと・・・ 入場料を払ってから最初に見るのは石棺が並んでいる風景。
彫刻のきれいさは身分を示しているそうです。
博物館前の広場・・2017年にユネスコ世界遺産の仲間入りを
したアフロディシアス。トルコ西部の村ゲイレ近郊に位置する、
小アジアの古代都市アフロディシアス。紀元前3世紀頃に
建設された都市であり、その名はギリシア神話の
女神アフロディテに由来する。近隣で大理石が
採れたことから栄え、神殿や浴場、スタジアムが作られた。 
3階の構造の建物であったらしい。
1階部分の柱部分
2階3階には彫刻が・・・
テトラピロン(多分はっきりわかりません)
寺院へ向かう巡礼者を迎える、円柱が並ぶ門
壁面です。この遺跡はパーツになっている物が多い
この顔のようにきれいに残っているものが多いようです。
ティベリウスの関門がある(右側)。印象なのは回廊です。
左右均等に美しい柱が均等に並んでいる。

ここはアゴラ(手前は集会場跡)
音楽堂は紀元前1世紀に造られ1万人もの
観客が収容できたという。
長い間地中に埋もれていた
ため、ほぼ完ぺきな状態で残っています。
コロネードリマレストラ(体育場)跡
アフロディシアス遺跡 柱根元装飾彫刻が・・・
ビザンチン帝国時代の住宅跡
ここはハドリアヌスの大浴場広場 ハドリアヌスの大浴場(古代風呂)今でいうサウナ風呂
古代風呂跡 前方にアフロディシアス神殿の
円柱が見えています。
遺跡の先は古代劇場・・ 古代劇場に出る・・・紀元前1世紀に造られ
1万人もの観客が収容できたという。
劇場椅子の下はライオンの足の彫刻になっています。 目をつぶると古代の情景が浮かんでくるようです。
ステージの後ろの壁面は高さが5mもあったとか。 アフロディシアス神殿跡は緑の草原に埋もれて・・・
アフロディシアス神殿跡 右側の石積みは
キリスト教徒からの攻撃を防ぐ為のもの
あっちこっちに柱の根元が・・・
皆彫刻が施されています。
真っ赤なポピーと無造作に転がる遺跡 アフロディシアス神殿・・ローマ皇帝アウグストゥスの時代に完成し、ハドリアヌス帝の時代(117~138年)には、神殿の境内が付け加えられました。イオニア式で、13m×8mの円柱が二重列柱堂に見えるような構造になっています。この神殿は5世紀に教会として使われていました。1662年に高さ3mもの巨大なアフロディーテ像が神殿跡から発掘されました。アフロディーテが当時信仰の対象となっていたことを示しています。
草原を競技場へと・・・暑いです。 1世紀から2世紀にかけて造られた長さ262m、
幅59m、収容人数3万人というローマ式巨大競技場。

ローマ時代には血なまぐさい闘技が行われていたようです
楕円形のスタジアムには動物を囲っておく石の柵が残っており、猛獣を闘わせる闘技場としても
利用していたことがわかります。これだけの規模でほぼ完璧な状態で残っている競技場の観客席に
座ってみると、当時の競技の様子が目に浮かんできそう。
アフロディーテ神殿・・当時の神殿は色彩豊かに色づいていたようであるが、現在は大理石が剥き出しになり、
柱も14本残っているのみである。しかし色が褪せても青空のもとで白く輝く神殿はなんとも神々しく美しい。
アフロディシアス博物館2017年アフロディシアスは
世界文化遺産として登録 ... その多くは、
この博物館に展示されています。
博物館前・・・石棺の彫刻
博物館内へと・・・
素晴らしい彫刻やレリーズの数々を見ることが出来ました。
緑の草原に彫刻が施された多くの石棺が
置かれています。すごい数です。

バムッカレ石灰棚へと向かいます。。
デニズリ郊外を過ぎるとバスの窓から一部分だけ
雪が積もったような場所が見えるのが、

パムッカレ石灰棚
ヒエラポリス遺跡入口。入場ゲートをくぐるとまずはヒエラポリス遺跡です。
ヒエラポリスは紀元前2世紀に建設された古代都市。良質な温泉【パムッカレ】の丘の上に、温泉保養地として
多くの人々が集まり、都市が形成されました。ヒエラポリスは、聖なる都市という意味があるそうです。
2度の大きな地震で今は廃墟となっていますが、古代ローマ時代の後1世紀から2世紀にかけて
建造された円形劇場、共同墓地、公衆浴場などの立派な遺跡が残っています。
入場ゲートをくぐってヒエラポリス遺跡の丘陵地をゆっくり
歩いていきます。ヒエラポリスの円柱が復原されています。
円形劇場をズームで・・・
ポピーの花の先に円形劇場が見えています。巨大な客席を持つ円形劇場。
この客席を埋め尽くした古代ローマ人たちはいったいどんな暮らしただったのでしょう?
優雅でのんびりしていたのかも?・・などと広大な場所を見ていると思わずにいられません。
ヒエラポリス遺跡の先は広場になっています。 大きな鶏のオブジェが広場に・・
この先がパムッカレの石灰棚のようです。 パンフレットに紹介されている、【パムッカレ】の
風景がドドーンと、目に飛び込んできました。
真っ白の風景がドドーンと・・・
地面から湧き出た石灰成分を含む摂氏35度の温泉水が100メートルの高さから山肌を流れ、無数のプールを作っています。
温泉水がプールから溢れ出て、クリーム色の鍾乳石が形成され、世界に二つとない息をのむような景観が作り上げられました
綿や雪にも似たこの光輝く幻想的な城(「綿の城」とも呼ばれる)を作り上げたのは、まさにこの温泉水なのです。
この不思議な土地には、心臓病、循環器疾患、高血圧、神経性の障害、リウマチ、目や皮膚の病気、神経や肉体の
疲労、消化器疾患、栄養障害に効果のある温泉が豊富に湧き出ているとか。池の先にパムッカレの街が・・・
一度に100人が入れそうな大きなプールが連なっています。
絶景ポイントはこちら側・・・
左側の石灰棚は靴を脱いで
入ることができます。
左側から・・・絶景ポイント方面を・・・ ズームで・・・世界的にも珍しい大規模な石灰棚の
パムッカレは石灰を含んだお湯が下の平地に

流れ落ちる途中で温度が下がって崖全体が結晶して
真っ白な石灰棚ができました。
 
左側から・・・ 左側・・勢いよく流れる温泉水に足湯をする人たち。
滑らないように下流方面へと下りていきます。
今では遺跡の保護のために、入れるところが限られているようです。時間が気になりもどります

【パムッカレ・テルマル】(温泉プール)へと・・
 パムッカレの入り口には『パムッカレ・テルマル』があります。温泉プールのような、天然の炭酸泉の
温泉施設。大理石の柱など、ヒエラポリスの遺跡が足元にそのまま沈んでいます。
お湯の温度は36℃ほどとぬるめですが、広さもあって遺跡を
触りながら温泉なんてここでしかできない体験です!。
パム テルマル ホテル到着 ロビー 17時50分 私たちのお部屋は7棟 1階
お部屋前は吹き抜けになっています。 お部屋です
果物はそのまま 夕食はバイキング
夕食 ピールで乾杯
夕食後プール・温泉見学です。
温水プール 誰も入っていません
室内プールの壁に垂れ下がる石灰のつらら
室内プール パムッカレを模した温泉があります。
3段に分かれている温泉は、上の方が温かくて、
下に行くほど
人肌の温度になっているようです。
私は見るだけ。
4日目終了
2017年世界遺産となったアフロディシア。みんなでトラクターにゆられ入口へ、やんちゃなドライバーさん可愛かった。
又パムッカレでは足湯も・・・温泉ホテルで宿泊!盛り沢山歩き盛り沢山の観光でした。


2018年4月19日、5日目です。
今日の行程はコンヤへ約430km(約6時間)の移動です。
8時30分出発 午前中は移動のみ 昼食後、アラアッディンモスク・メブラーナ博物館へ・・・
朝食6時オープン 種類豊富に並ぶパン
野菜は目につかず
パン コーヒー
ヨーグルトと、おかゆを・・・
出発まで時間があるので石灰棚を模したお風呂見学。 勢いよく吹き出すお湯
ホテル玄関 ホテルの近場ぶらぶら 温泉の湧き出る土地ゆえの風景です。お湯がちょろちょろと流れています。
スーパーのようなお店で、お水購入 車窓・石灰棚の真っ白の台地を・・・今日の席は最前列
ディナールの町並み
1995年に大きな地震があった地区です。 
車窓を楽しみながらと思いつつも、ついウトウトと・・・
雪を被った山、広大な農地にはさくらんぼの木々
花は盛りを過ぎています。
昼食場所 昼食はトルコ風ピザ?? 中は円形で広いです。
サラザ・パン・スープ(色は濃いですが、味は薄味。
塩コショウを入れると美味しくなります。)

デザートはプリンのような感じですが、甘い
これがトルコ風ピザ
ピザの生地の上にミンチ肉。これも味が薄い
コンヤの街に入って来ました。渋滞で~す。 アラアッディンモスク 15時到着
コンヤの町を見下ろす、アラアッディンの
丘に建つのがアラアッディンモスクです。
水が流れる階段の横を上っていきます。 アラアッディンの丘からコンヤの町を・・・
1220年、この時代の統治者セルジューク朝スルタン、カイクバード一世によって古代のコンヤ城の跡地に建てられました。
地味で質素な印象を受けますが、トルコ人が中央アジアからアナトリア地方に移り住んだ当初、中央アジアの文化の
影響でドームのない四角形の簡素なモスクが多かったようです。後にセルジューク時代を経て、オスマン帝国時代に
なるとドームのある豪華なモスクが多く作られるようになったといわれています。
モスク内部 派手さはないけれど落ち着いた雰囲気のある
モスクです。ここでは靴を脱ぎ、スカーフを巻きました。
中央は祭壇です。
説教壇は黒檀でできています。
セルジューク王朝の木工技術の
素晴らしさを物語っています。
アラアッディンモスク観光後アラアッディンの丘を
反対側車道へ・・・
途中、滑らかな坂をスッテンコロリ・・
何事もなく良かった!! 何かあれば大変
バスが待つ車道へと・・・
落雷で折れた尖塔を持つ、インジェミナーレ神学校。
5、6分で前方に
メヴラーナ博物館が見えてきました。 
メヴラーナ博物館裏側青緑色をしたタイルで
飾られた霊廟の塔が目に飛び込んできます。
 
メヴラーナ博物館正面  導師メブラーナ、ルーミの霊廟。
旋回舞踊で有名なメヴラーナ教団の総本山だったところ。教団の発展に関係した修行場、
名僧たちの棺が置かれた霊廟、旋回舞踊で使った衣装、コーランなどが納められています。

博物館には靴の上から専用のビニール・カバーを装着して入館します。
霊廟に入ると、棺がずらりと並んでいます。
エキゾチックな雰囲気が漂っています。 メヴラーナの棺です。とても大きな棺です。
名僧たちの棺がズラリ 天井が高く繊細な装飾が施されています。
シャンデリアも素敵 預言者ムハンマドの顎鬚が入っているらしい
敷地内の別棟には人形で修行僧の生活を
表したものがあります。今にも動き出しそう・・・
人形で当時の修行僧の生活の様子が再現。
こんな人形も 日本でいう、托鉢のようなものか?? 当時の衣装、小物なども沢山展示されていました。
チューリップと博物館。絵になっています。 白い円筒形の帽子、白いスカートみたいな服を着て、両手を
挙げてくるくる廻る踊る、旋回人形の前で記念撮影です。
ホテル ヒルトン・ガーデン・イン・コンヤ
17時到着 
ホテルロビーに旋回舞踊のガラスの
人形が販売されています。
ランプのようです。 お部屋です。
夕食バイキング デザートと、私の夕食 
何時も同じような物ばかりです。
 今日は殆どが移動、遠かったです。無事5日目終了です。 



2018年4月20日、6日目です。出発はゆっくり9時出発です。
朝食後、カッパドキアへ約250km(約3時間)途中キャラバンサライ(隊商宿)へ立ち寄り、カッパドキア“ウチヒサール”実際に住んでいる洞窟の家(アンナさん宅)訪問”。昼食は洞窟のお店でマス料理を・・・午後からはゼベルの谷・らくだ岩・三姉妹の岩、ウチヒサール観光後洞窟ホテルへと・・・夕食後はゼルベの谷でプロジェクトマッピングを鑑賞
朝食バイキング 私の朝食 変わり映えしない朝食です
ホテルから1時間ちょっとでキャラバンサライ(隊商宿)到着。
コンヤからカッパドキアへ向かうコンヤ - アクサライ線の途中に、スルタンハンという町にあります。
そこにキャラバンサライがあります。
キャラバンサライとは10世紀頃にトルコに建てられた隊商宿のことです。隊を組んで長い旅を続けていた
商人達(キャラバン)にとって周辺に何もないところに建てられた宿は宮殿(サライ)のように大きく立派な
建物としての印象を受けたことからキャラバンサライと呼ばれるようになりました。現在トルコ国内には約100程の
キャラバンサライが残っていますが、そのほとんどが廃墟化しています。
保存状態が良く見学可能なキャラバンサライの一つとして有名です。
中は修復中で入ることはできませんでした。隊商宿には3日間は無料で泊まれたという、しかし、
3日を超えると料金を支払わなければならなかったという説明が、ガイドさんから・・
キャラバンサライの敷地に犬が数匹,優雅に寝そべって、のんびりと日向ぼっこをし、平和な感じが・・・。
皆おとなしく、人に慣れています。
横から、頑丈で高い塀に囲まれ、門も一箇所だけです。
やはり当時は隊商というのは財産を持ち歩いていたわけで
あり、それを狙う盗賊などがいた為か、そのためにあちらこちらにこのような頑丈な隊商宿がつくられていたらしい。
車窓 ガイドさんからシルクロードと・・
800年前と同じ、と・・・ 
あっちこっちにモスクらしい建物が・・・ 11時30分過ぎにカッパドキアの
奇岩地帯が見えてきました。
カッパドキア・ウチヒサール・・
トルコにある世界遺産カッパドキアは奇岩地帯と呼ばれ、柔らかい地層と硬い地層が重なり合い侵食しあった
結果できたキノコのような形をした不思議な巨岩が乱立する地域です。 その不思議な地形から世界遺産に
認定されています。 また、キリスト教発生初期の頃キリスト教徒の隠れ家として岩を削って内部に住むように
なったのを発端に、削りやすい岩質を利用して岩石をくりぬいて部屋を作るという独自の住居がとても
興味深い文化を作っています。
現在60世帯ほどが洞窟住居で生活しているとガイドさんが・・・
要塞を囲むように積み木のような住居が並ぶ、
ウチヒサール
カッパドキア地方で一番高いところにある村。
敵の侵入を防ぐ城塞として使われた岩が中心にある。
奇岩をズームで・・岩の上部には小さな穴が
無数にあり、鳩の糞を集めて肥料に使っていた
「鳩の家」を見ることが出来ます。
ウチヒサール住居跡 ラクダに乗って記念撮影で~す。 立ってくれません。
ガイドさん知り合いの洞窟のお宅(アンナさん宅)へと・・・
1階、2階、3階とあるようです。

おじさんから譲り受けたとのことです。
玄関から居間へと・・
1階部分  2階は寝室
3階は倉庫になっているようです。
床はトルコ絨毯が敷きつめられています。
チャイを御馳走になります。
洞窟のお部屋窓から・・・ アンナおじさん、娘さんと記念撮影
トルコ絨毯の織物機 入口付近に台所
裏の洞窟もアンナさんの持家 中は物置のようです。2階は来客用のお部屋があると・・・
洞窟の入り口から外を・・・ アンナさん宅をもう一度、煙突がニョキッと・・・
昼食場所へと・・・ 昼食場所も洞窟のよう・・・
入口です。 内部
ツァーの、お連れさんたちです。 スープ・パン・プリンのような甘い甘いデザート
豆煮 豆だらけ  
マス料理 塩をかけるといけるかも・・・ 昼食場所付近ぶらぶら
岩の上に崩れかけた住宅があっちこっちに・・・ 車窓・・“アカガワ”を
東から西に流れるアカガワ1000km続いていると・・・
カッパドキア・ゼベルの谷への車窓 ゼベル谷のきのこ岩が見えてきました。
ゼルベの谷
ゼルベの谷に多く立つキノコ岩。その中には妖精が住んでいると言い伝えられていて、妖精の煙突と呼ばれている。
火山の噴火により堆積した凝灰岩や溶岩層が長い歳月をかけて浸食されてきたと、科学的な説明が・・・
そんなことを考えずに妖精たちが不思議な力で造り上げたと考える方がロマンチックかも・・
ゼルベの谷 展望台から、ゼルベの谷と黄色花の群生・・
展望台からのゼルベの谷
果てしなく広がる大地。この凄さはきっと写真では伝えることはできないでしょう。
ゼルベの谷の、きのこ岩と青い空と白い雲
ロマンチックかつ遠い異国での旅情を誘うぅ・・・・
ゼルベの谷にて・・・
ハイハイして登り、大きな岩の上にて記念撮影
ゼルベの谷へと・・・ きのこ岩の間を・・・
 ゼルベの谷のきのこ岩
きのこ岩にも岩がくり抜かれています。 くり抜かれた穴から、きのこ岩を
立ち並ぶ土産店を抜けて・・・ 駐車場近くのきのこ岩
デヴレントの谷【らくだ岩】 らくだ岩 言われれば、らくだに見えるかも・・・
らくだ岩周辺をワイドで・・・
浸食を受けてできた奇岩が連なる渓谷に動物などのユニークな形にたとえられる岩が想像を膨らませることから
「イマジネーションの谷」とも呼ばれています。又かって迫害から逃れ逃げ込んだキリスト教徒の隠れ家跡もあるようです。
時間に追われない旅なら奇岩の間をぶらぶらするのも良いかも・・・
続いて、エセンテベの谷にある【三姉妹の岩】
こちらから見ると二姉妹
方向が変わると三姉妹
ズームで三姉妹の岩を・・ ローズバレー(赤い谷)と呼ばれており、夕日を浴びると
谷が真っ赤に染まるそうです。夕日を見てみたかったけど、
まだまだ陽は沈みそうにありません。 
ローズバレー(赤い谷)をワイドで・・
ローズバレー  夕日を浴びると奇岩が
波打つように見えるのだそうです。見たかった!!
観光後、洞窟ホテルへと・・・
MDC ケーブ ホテル 16時到着 ロビー前に、シーズー犬が 飼い犬のようです。
ホテルロビー 洞窟ホテルは二つとして同じ部屋が
ありません。恨みっこなしでお部屋のキーを取ります。
私達のお部屋玄関
入るとすぐのお部屋 左側のお部屋
右側に行くとジャグジーの付いた、お風呂とトイレ
えぇ寝室は・・・
横の階段を降りるとベットルームが・・・
最高のお部屋です。 寝室からの階段、上はお風呂
ツァー一緒の人たちのお部屋まわりを・・・
私たちのお部屋大当たりで~す。
 
夕食まで時間があるのでホテル周囲をぶらぶらです。 ホテルテラスからの眺めで~す。
 ホテル屋上からの眺め・・・ワイドで
ホテル屋上からの眺め・・・ ホテル庭に咲く白い花。
夕食 ワインで乾杯 ミンチ肉?? 下部の白いもの じゃがいも??
何とも表現出来ない食べ物でした。
ロビー7時15分集合
ゼルベの谷にて「カッパドキア プロジェクトマッピング」観賞に出かけます。
羽毛の上着の上にコートを着ていても寒いです。真冬の寒さです。
奇岩に映像が映し出されます。物語があるようですが・・・
イスラム教徒の圧迫から逃れるため岩を
削った洞窟に逃れたようです。
火が放たれ・・・
肖像が浮かび上がります。
最後にトルコの国旗が・・・傍で鑑賞していた多分トルコ人たちが歌いだしました。
後で添乗員さんに聞くと、トルコの国の成り立ちを
プロジェクトマッピングで表していると・・・
ホテル21時到着 6日目も無事終了


2018年4月日、7日目後半になってきました。
出発9時、引き続きカッパドキア観光です。ギョレメ野外博物館・地下都市カイマルク、昼食後、絨毯と宝石のショッピング・・・2連泊の洞窟ホテルへ、夕食後はトルコ伝統のベリーダンス鑑賞です。
朝食はバイキング
コーンフレイクとチーズたぶっりのオムレツ
昨晩来ていた犬が朝にもひよっこりと・・・
ネコちゃんも・・・
ネコちゃんとわんちゃんに日本のお菓子を・・・
警戒心ゼロ
天気最高8時30分出発・・・
洞窟ホテルからギョレメ野外博物館へと向かう途中の風景。
 
ギョレメ野外博物館入口すぐに“女子修道院”があります。
ギョレメ野外博物館は、岩を削った洞窟教会や修道院が
集積している地域です。4世紀からこの地に住みついた
キリスト教徒たちが9世紀以降のイスラム教徒から逃れる
ために隠れ住んだもので、約30の教会が公開されています。内部は撮影禁止になっていますが、今も色鮮やかな
フレスコ画からは当時の人々の篤い信仰心が
伝わってくるようです。
 

女子修道院・・・ 現在、中に入ることはできませんが、
博物館に入ってすぐの場所にある大きな岩が
女子修道院です。教会や食堂、部屋があり、
300人が生活していたと考えられています。
バジル教会へと向かいます。
これが聖バジル教会 内部は撮影できません。
セント・バジルとはカッパドキア(カイセリ)生まれで、
4世紀の最も重要なキリスト教神学者の一人です。
りんごの教会入口・・
りんご教会 ぽつんと孤立して立つ洞窟住居
蛇の教会、暗闇の教会、サンダル教会が
前方にズラリと並んでいます。
数多く並ぶ教会方面へと・・
野外博物館という名前の通り、青空の元、
ブラブラ歩きながら各洞窟教会を見て回るのは最高!!
数多い教会の一つ
蛇の教会
聖ジョージと聖テオドレが大蛇を退治している場面が
描かれていることから、この名前が付けられました。
今でも色鮮やかなフレスコ画
蛇の教会からのギョレメの眺め 蛇の教会からのギョレメの眺め
蛇の教会1階に40人~50人が使用できる
食堂のテーブルとイス
炊事場のようです。
天井に煤のようなものが・・・
住居跡 暗闇の教会
暗闇教会の名のとおり、小さな窓があるだけで
光がほとんど入らないため、フレスコ画の
色がよい状態で残っています。撮影禁止
暗闇の教会上部を・・・ サンダル教会
ギョレメ野外博物館で一番高い場所にあります。
教会内部の“イエスの昇天”場面の下の床に足跡のような
形があることから、サンダル教会と名付けられました。
サンダル教会下の食堂には最後の
晩餐の絵が描かれています。
サンダル教会の入口
男子修道院 最後にトカル教会 中に入ることはできません
トカル教会入口に壁画の写真が・・・トカル教会の
特徴はフレスコ画に青色が使われていることです。
 土産店を通りぬけて集合場所へ・・絨毯のお店へと・・
絨毯の織り方を見学・・ 全て手織りのようです。数百万するようです。
説明を聞きながら・・・買う気まったくなし
宝石店へも・・宝石も興味なし
昼食場所
サラダ・パン・スープの色は何時も同じ、何のスープか
見当が付きません 塩・胡椒を入れて
メインは壺焼きケバブとか・・・
鶏肉のようです。
昼食場所テラスから、鳩の谷全体を・・・
鳩はイスラム教の中では家族との絆と
平和とされキリスト教の中では神の魂の
象徴とされていたそうです。
最も集中しているのがウチヒサルキャッスル周辺の谷。
ピジョンバレー(鳩の谷)と呼ばれる、この谷には
とても立派な洞窟のお家が建っています。
露出した凝灰岩肌には無数の穴が・・・
鳩の巣のようです。糞を集め肥料にするようです。
昼食後、地下都市カイマルク・・・
前方の建物から地下へと入っていきます。
地下都市カイマクル入口
地下都市は狭くて細い道なので中はかなり
混雑していて入口手前で少し待たされました。
迫害を逃れて洞穴で生活をしていたキリスト教徒たちは
カッパドキアに隠し入口を作り、中に巨大な地下都市を
作りあげました。地下への階段を下りて行きます。
内部には教会、学校、ワイナリー、食料貯蔵庫などが作られ、約2万人が暮らしたと考えられている。 各階層は階段や傾斜した通路でつながれている。 カイマクルと隣のデリンクユの地底都市の間には地下通路が確認されているようです。 ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み、何世紀もかかって掘り進められて拡張されてきましたが、作られた年代は謎に包まれていて、紀元前から存在し、ヒッタイトによって作られたと考えられているようです。
所々下部が見えるようにガラス板になっていました。 幾つもの脇道が迷路のように
迷子にならなかったのか
外敵に進入されたときの対策として矢を射る小窓や煮え
たぎった油を上からぶちまける穴も設置してありました。
開けたところは教会、
学校として使われていました
通路の中のあちこちにある、巨大な丸い石。
地表から迫害者がやってきたとき、この石で
通路をふさいで逃げたんだそうです。
今はコンクリートで固めてあります。
地下は迷路、ただただガイドさんの
説明を聞きながら着いて行くのみ・・・
背を屈めながらは、結構きついです。 岩に煤のようなものが付いている場所は
調理場ではないかと言われています。
もうすぐ出口 地下都市模型 地下8階まであるようですが、
見学できるのは地下4階まで。
ギョレメの谷展望台から眺め
ギョレメの谷展望台に目のお守りが木にいっぱいぶら
下がっています。日本のおみくじと同じのようです。
洞窟ホテル 19時 夕食 ビールで乾杯
メインは、茄子の中にミンチ肉が詰まっています。 パイのようです。
デザート すいか・ザクロ・梅?? 夕食後 (20時) ベリーダンスショー鑑賞です。
 カッパドキアでの夜のお楽しみと言えば、
ベリーダンスと民族舞踊。
洞窟を改造したレストランで
行われる雰囲気満点のショー。
ツアーの、お仲間と乾杯
満席のようです 綺麗な音色が・・・何の楽器か・・・
トルコの伝統的なダンスのようですが、軽快な音楽に合わせて踊りまくりです。
見てるとストーリーがあるように感じましたが、どんな内容かは分かりません。
目が回らないのか?? 部屋真っ暗に・・・カラフルな光が・・・
ベリーダンスの始まりです。 下半身の動きが半端じゃないほど凄いです。
22時ホテル到着 無事7日目終了
明日カッパドキアを気球で飛びます。3時起床


2018年4月22日、8日目です。
早朝に気球からカッパドキアを見下ろします。3時起床、気球会社から4時30分にお迎えがきます。
オプションでツァーのお仲間8人で出発です。事務所で代金を支払い現場へと・・・わくわくです。その後の行程は出発は8時30分、一路サフランボルへ約450km(約7時間)、途中アナトリ考古学研究所が発掘調査を行っている、【カマン・カレホユック考古学博物館】。 昼食・野菜の煮込み料理を頂き、ホテルへと・・・今日は殆どが移動です。
寒いので準備が出来るまで車の中で待機です。
風速を見るため風船が飛ばされます。真っ直ぐ空へと・・・。

準備OKです。いよいよ準備が整い、気球のエンジンがかかり、いざ乗り込み・・・と思っていたらエンジンが止まります。
今日は中止!! と係りの人が・・風船が上空に行くと流れると・・思いもしていなかったことが、おこりました。えぇぇ・・・
気持ちの整理が付かず、お仲間達放心状態
車体に描かれた絵だけでも・・・パチリ

この車でホテルへと帰ります。 
こんなに天気がよく風も無いのに・・・ ホテル屋上では気球が上がるのを待っている人が・・・
「今日は中止です」と大声で・・・

ホテルフロントの人が「今日は飛ぶと思っていた」と・・・
割合を聞いてみると今年に入って14回だけと・・・
 
朝食バイキング 写真までピンボケ気力が
入っていないようです。
ヨーグルトの蜂蜜かけ
洞窟ホテルとお別れです。 カッパドキアともお別れです。
車窓・・・日本の調査隊が長年発掘を続ける遺跡・
カマン・カレホユック遺跡は真っ直ぐ伸びた木の向こう
遺跡をモチーフにマウンドに埋め込んだ
美術館・カマン・カレホユック考古学博物館 
アンカラの南東、約140kmのところにあるカマンの町の郊外、チャウルカン村にある遺跡。
高さ16m、直径280mの円形の丘になっている。北側では年代が新しい上の地層から順番に、
各時代の遺構がわかるように垂直に掘り進められており、2013年の第28次発掘調査では紀元前2000年以前の
遺構を調査中。南側では、最も重要な鉄器時代のカマン・カレホユックの姿を明らかにする調査が続けられています。
カマン・カレホユック考古学博物館入口 アナトリ研究所長・大村 幸弘さんの解説を聞きます。
トルコ中央部に位置するカマン・カレホユック遺跡はギリシャへ続く道が通り、中央アジアへ続く道は通り、黒海、地中海へとも
つながり、まさしく東西南北の古代の道の十字路になっているので、ここを掘れば、新石器時代のものからアッシリア商人の
時代からヒッタイト帝国、フリギア王国、アケメネス朝ペルシャ、ローマ帝国、ビザンツ帝国、セルジューク朝、オスマン・トルコ
帝国など、様々な時代の出土品が出てきます。これは、イランでも、ギリシャでも、シリアでも、エジプトでも、中国でも、
こういうことはない。たとえば、エジプトは長い歴史があるけれども、アナトリのように、これだけ民族が激しく行きかっている
ところなないと、これから気の遠くなる年月がかかっても調査は必要だと熱弁を振るわれました
カマン・カレホユック遺跡模型 土器 Ⅰ層 オスマン時代
Ⅰ層 ランプ オスマン時代 土器・陶磁器 Ⅰ層 オスマン時代
オスマン トルコ時代の住居 復元模型
年代別発掘調査写真パネル 左)前期鉄器時代(暗黒時代) 中央)暗黒時代
右)Ⅱbカマン・カレホユック遺跡出土二色彩文器
今で言う印鑑 小さいです。
発掘した土を振るいにかけて出てきたそうです。
Ⅱa 後期鉄器時代
Ⅲ層 中、後期青銅器時代
その他多数が処狭しと展示してありました。
日本庭園へと向かいます。
日本のオリエント学研究を永らく支えてきた三笠宮崇仁親王の名が付けられた日本庭園。考古学博物館の
開設に先駆け、1993年に造られました。地元では憩いの場として広く親しまれています。
2007年にリニューアルされ、日本国外にある日本庭園では最大級の規模を誇っています。
日本から送られた錦鯉が泳いでいます。 藤棚もあり、見頃となっていました。
日本庭園から・・・カマン・カレホユック遺跡の遺丘をモチーフとし、建築をマウンドの中に埋め込んだ形とした。マウンドの形状をグリッド上に削っている部分は実際の発掘方法を模したもので、屋外展示スペースとなる。マウンド周囲の土中にクールチューブを設置し自然換気による冷房が行われています。 サフランボルへの車窓
緑の大地が広がっています。
車窓・大きな湖
夏になると水遊びの人々で賑わうとか・・・
アンカラの町並み、広場のようです。
政府機関が密集していようです。
食事場所は緑の中・・・ 食事場所のテラスはツルで覆われています。
隣は乗馬クラブ 近くに競馬場があるそうです。 隣は乗馬クラブ 近くに競馬場があるそうです。
昼食 サラダ・パン スープはどこのお店もこんな色
塩コショウトウガラシ等を入れると美味しくなります。
昼食はギュベチ(野菜の煮込み料理)
豆ばかりが目立ちます。豆を避けて頂きます。
サフランボルの町並みが見えてきました。 サフランボルの町並み
ホテル ヒルトン・ガーデンイン  17時24分到着 お部屋です。
夕食まで時間があるので近場のスパーへ スーパーマーケットお店外観
野菜売り場 日本と変わりなし 果物 傷んでいるような物まで売られています。
駄菓子売場 お土産、何かないか探してみたが、
結局何も買わずに・・・
夕食 ビールで乾杯 酔っぱらったのか
メイン写すの忘れています。焼き鶏でした。
8日目はほとんど移動、車窓を楽しみながら無事終了です。


2018年4月23日、9日目です。朝はのんびり9時出発です。
今日の行程はサフランボル旧市街散策、古民家カイマカム・エヴィの中を見学。昼食は隊商宿(今はホテル)でケバブ料理を楽しみ、午後からはイスタンブール(約410km・4時間30分)へ移動。夕食は久しぶりの日本料理を楽しみます。
朝食 バイキング サフランボル到着
世界遺産のサフランボルはトルコの黒海地方にある都市。始まりは11世紀にまで遡ることができ、1994年に
ユネスコ世界遺産に登録されました。サフランボルの名はスパイスの「サフラン」に由来します。その通り、
この町は貴重な香辛料サフランの集積地として生まれたのです。11世紀から17世紀にかけて、オスマン帝国の
サフランの里として大きく発展しました。現在、街にはモスクやトルコ式浴場、隊商宿(キャラバンサライ)今は
ホテルなど多くの遺跡が残されています。 広場にサフランの花のオブジェが・・・
前方、トルコ式浴場 サフランボルの古い町並み・・
隊商宿(キャラバンサライ) 古民家「カイマカムラル・エヴィ」へと・・・
古民家「カイマカムラル・エヴィ」 かつてトルコの裕福な市民は、大家族で暮らし、大きな家を建てて一族が
まとまって生活していました。築200年の古民家住宅であるカイマカムラル・エヴィでは、こうした家庭内の
様子を、人形などを使って分かりやすく展示されています。
1階は土間のようになっており、馬が繋げる空間と
玄関があります。今は農機具類が展示してあります
部屋へと入って行きます。すぐに2階へと・・・
2階~3階は生活の場で、中央広間を囲んで
多くの部屋があります。
セラムルクと呼ばれる男性専用のサロン・・・
男性専用サロンでくつろぐ人々の様子です。
人形を使うことにより、目の前に昔の古民家の
生活の雰囲気を感じることができます。
銅製の食器なども歴史を感じさせるものです。 
女性が調理する台所も、独特の構造になっています。
たとえば、ドアを開けて直接食事を運ぶのではなく、
男性客がいる中央広間へは回転式(右側の扉)
配膳棚があり、まったく顔を合わせないで給仕する
仕組みに工夫されています。
3階への階段 ハラムルクと呼ばれる女性専用のサロン
結婚式準備中とか・・・ 
お手製のレースや絨毯で綺麗に飾られています。 家族で食卓を囲む様子
子供部屋 部屋の窓から、サフランボルの街並みを・・・
風呂は隠し戸棚方式になっており、クローゼットを
開けてみるとそこはなんと、浴室兼押入れと
なっているのです。
中央広間・・共同のお部屋です。 
育児部屋のようです。 鮮やかな衣服が飾られた衣装部屋
当時使われていた道具が、そのまま残されています。
古民家見学を終え自由散策へと・・・
サフランボル旧市街の真ん中にかわいい
バザールがあります。17世紀から続いている伝統の
ある商店街で、アラスタバザールと呼ばれています。
アラスタバザールを抜け展望台へと・・ サフランボル市街を見渡せる展望台へと上がって行きます。
ワンちゃんが道案内をしてくれています。
展望台から・・・
 
展望台からの眺め
展望台からの眺め
展望台で食事することも出来るようです。 古民家が立ち並ぶエリア散策です。
古い民家に囲まれた石畳の道を
行きつ戻りつしながら散策で~す
生活エリアへちょっと失礼します。
今なお中世的な雰囲気を残すサフランボルの町を、ゆっくりと・・・
今なお中世的な雰囲気を残す
サフランボルの町を、ゆっくりと・・・
細い路地にもお店がぎっしりと・・・
わんちゃんがのんびりと・・・ アラスタバザール内にある、昼食場所へと・・・
隊商宿(今はホテル)で昼食 サラダ・スープはやっぱり塩を入れて・・
水の代わりにコーラを
ケバブ料理とはインターネットで調べるとケバブは、
中東とその周辺地域で供される、肉・魚・野菜などを
ローストして調理する料理の総称だそうです。
ローストした鶏肉です。食べ残しはワンちゃん用にお持ち帰り
食後再びアラスタバザールへ、古い葡萄棚が
上部にあり、冬は太陽が降り注ぎ、夏には葉が
茂って日よけアーケードとなり、素敵な雰囲気を
醸し出しています。
バスが待つ駐車場へと・・・前方ホテル 学校だそうです。
イスタンプールへ約410km(約4時間30分)の
途中、トイレ休憩です。15時
店内の様子・・
トルコ菓子が沢山売れれています。
車窓・・橋の向こうはマルマラ海・・ 再びトイレ休憩
ポップコーンのような物がズラリと・・・ 車窓・マルマラ海の内海を・・・
車窓・・・ 車窓 今晩のホテル リッツカールトンを・・・
日本食 UDONYA(優雲也)店内 ピールで乾杯 天ぷら
久しぶりの味噌汁は最高でした。
お寿司 刺身、胡瓜は無理・・ リッツカールトン ホテル到着です。20時30分
ロビー ここもロビー
豪華な生花が・・・ お部屋への廊下・・・
お部屋です。 お部屋から・・右側はサッカー場
 9日目も無事終了 リッツカールトンホテル2連泊です。



2018年4月24日、トルコ周遊12日間も10日目になってきました。
朝食後、イスタンプール市内観光です。アヤ・ソフィア博物館、地下宮殿観光です。昼食は「スルケジ駅」駅舎内のレストランにてトルコ料理を頂きます。昼食後、引き続きイスタンプール観光、スルケジ駅舎内ぶらぶら、ガラタ橋へ、その後グランドバザール、エジプシャンバザールと・・・お買いものです。バザールぶらぶら後は旧市街のセブンヒルズホテルの屋上レストランにて旧市街を一望しながらティーブレイクを楽しみます。
ホテルから日の出を・・今日も天気になりそうです。 朝食バイキング
私の朝食 ホテル リッツカールトン外観
車道からアヤ・ソフィア博物館を・・・ アヤ・ソフィアはキリスト教の大聖堂(360年~1261年)を目的として建設され、次にイスラム教のモスク(1453年~1931年)として利用されました。そして今はモスクではなく博物館(1935年~現在)として利用されています。
アヤ・ソフィア博物館は広い公園になっています。 博物館への入口
建物に入ってすぐの廊下のような空間(ナルテックス) 建物に入ってすぐの廊下のような空間にモザイク画が・・・
建物に入ってすぐの廊下のモザイク画をズームで・・ 天井のモザイク画
廊下のような空間 ビザンティン建築の最高傑作とうたわれる
アヤ・ソフィア内部です。
両端にイスラム教のシンボル
上にキリスト教のシンボルが・・・
内部には壮麗な大空間が広がります。天井はドーム天井となっており、中央のドームは直径33メートル、床面からの高さ56メートルという巨大なもの。その周りにアーチや半円形ドームを作り、中央ドームの重さを分散して支えています。
博物館内にもネコちゃんがウロウロ・・ 背の高さ以上の大きさで、美しい大理石でできている大きな壺のような形の瓶は、時のスルタン、ムラト3世によって古代都市ペルガモン遺跡からから、もたらされたものです。
すすり泣く柱・・アヤ・ソフィア内部に数ある柱のなかで、一本だけ穴があいている柱があります。
穴の周辺の色がはげています。聖母マリアの手形ともいわれているこの柱は、穴に親指を入れて、
残りの指を柱から離さずにぐるりと円を描くように回せたら、願い事が叶うなど、数々の言い伝えや
伝説があります。見つけたらやってみるといいかも・・・・
オスマン帝国時代になってからは、アヤ・ソフィアは
モスクに変えられたため、カアバ神殿(メッカ)の
方向を示す説教壇(ミシバルミ)が設置されました。
堂内の奥壁上部に描かれた聖母子像。
2階へと・・
2階へと上がってきました。
「デイシス」はビザンティンモザイクの中でも傑作と
いわれるものの一つ。キリストに人間の罪を許すよう
嘆願する聖母マリアと洗礼者ヨハネを描いています。

下部はほとんど損傷していますが・・・
2階の壁面のモザイク画は
12世紀頃に描かれたものです。
イエスに捧げものをする皇帝コンスタンティヌス9世と
皇后ゾエが画かれています。
聖母マリアと幼子キリストのモザイク画が。
アヤ・ソフィア博物館前は、噴水とチューリップの花畑。
八重桜も見頃でした。
チューリップの見ごろは過ぎています。
徒歩で地下宮殿へと・・・
地下宮殿入口への建物 地下宮殿内部へと・・ 
ビザンチン帝国時代に建設された地下貯水施設。コンスタンチヌス1世の時代に建てられたが5世紀に焼失し、
ユスティニアヌス1世により再建されました。336本の柱に支えられた長さ141m、幅73m、高さ8mに及ぶ空間に
約8万立方mの水を貯めたといい、オスマン・トルコの時代まで、アヤ・ソフィアやトプカプ宮殿の重要な
貯水施設として利用されていました。一般公開が始まったのは3年間の修復作業を終えた1987年からです。
掻き出した泥の下からメドゥーの頭部などが現れ話題となりました。
ぼんやりとした灯りの中、水面に浮かびあがる
柱の数々は、まさに宮殿の趣き、圧巻です!
幻想的、神秘的な空間の広がりに感動
冠のようなものが・・・ 涙の柱・・・柱本体は、互いに絡み合った三匹の蛇からできて
いるそうです。柱のモチーフが、涙のしずく模様に常に
しっとりと濡れているからこう呼ばれているのだとも・・・又それはメデューサの涙によるものとも言われているそうです。 
涙の柱 ぼんやりした宮殿の通路の奥まったところにある円柱です。
そこには大理石でできたメデューサの首が?!
なぜこのように置かれたのかについては、メデューサは宝石のように輝く目を持ち、見たものを石に変える能力を
持つといわれています。その為 メデューサの目の魔力を封じ込ためだと言われています。 
それとも単なる高さ調整? ローマ文明がギリシャ文明征服の意味を込めたため、あるいは多神教から
一神教への移行時代に封じ込めの意味があった……などなど色々な説があります。
地下宮殿を出て、ヌル・オスマニエ・モスクへと徒歩で
向かいます。
イスタンプール市内を走る路面電車(トラム)
カラフルな路面電車が走って行きます。
路面電車をパチリパチリと・・・ 前方、ヌル・オスマニエ・モスク
ヌル・オスマニエ・モスクです。ヌルオスマニエというのは、「オスマンの光」を意味するようです。オスマン・トルコ帝国の
栄光を讃えるつもりでしょうが、このモスクが建ったときは18世紀半ばであり、オスマン・トルコ帝国は衰退の一途でした。 
 礼拝堂に入り、正面の風景です。
礼拝堂の中心にある照明設備です。
礼拝堂の奥の壁、キブラの中央にあるミフラーブ(聖龕〉の
風景で、その右手には説教壇があります。
モスクの隣がグランド・バザールの
入口になっています。
グランド・バザールは、トルコ語では「カパル・チャルシュ」と呼ばれています。「屋根付きの市場」という意味のようです。
オスマン帝国が1453年にビザンツ帝国を滅ぼした後、メフメト2世(在位1451~1481)が建設しました。その後、
オスマン・トルコ帝国全盛時代のスレイマン1世(在位1520~1566)によって拡張されます。現在の姿になったのは
18世紀初頭だとされています。このように、グランド・バザールはオスマン・トルコ帝国の歴史とともに歩んできたと
いわれています。グランド・バザールはイスタンブールで最も大きな市場ですが、現在では完全に観光客用となっている
ようです。同じような通りが縦横に交差しているので、まるで迷宮のようです。気をつけないと迷子になります。
集合場所です。自由散策で迷子になったら、
ここのお店【21番】と言えばいいそうです。
土産物の雑貨屋や貴金属をショーケースに並べた
小さな店々がぎっしり並んでいます。、
天井の模様が素敵です。 金ピカの商品がズラリと・・・眩かったです。
目が眩みそうでした。
トルコランプがズラリ 綺麗で~す。 グランドバザールには値札が一切貼ってないです。
値切り交渉でお安くなるようですが私は無理!! 
  陶器のカラフルなお皿も・・ 何も購入せず集合場所へと・・・
昼食場所 世界で最も美しい駅“スルケジ駅”
イスタンブールのヨーロッパ側にあるトルコ国鉄のターミナル駅で、オリエント急行の終着駅として
完成した駅として有名です、また、西方に向け国際列車、国内列車、近郊列車が発着しています。
スープ パン?? トルコ料理はナスの中にミンチ肉??  デザートはとにかく甘い ホームにもテーブルが並んでいます。
バス車内からスルケジ駅を・・・ 駅舎は、現在補修工事中です。
続いてガラタ橋へと・・・ 
ガラタ橋は金角湾に架かる跳ね橋です。初代の橋は1845年に開通。現在の橋は1994年12月に開通した5代目です。
旧市街地のエミノニュと、新市街地のカラキョイを結ぶ。長さ446メートル、幅25メートル、厚さ平均3メートルと立派な橋です。路面電車や車が中央を走り、両隅の歩行者道路の一角を釣り人が占有することでも有名です。船が運行する
中央部以外は上下二層になっており上層が車道、下層はレストラン街となっています。前方にイェニ・ジャーミィモスクが
見えています。路面電車も走っています。
 
ガラタ橋の両側で釣り糸を垂らす人々の姿が・・・ 橋の横には、名物のサバサンドの屋台舟も並んでいます。
色んな屋台舟が並んでいます。 続いて、“エジプシャンバザール”への通路
エジプシャンバザール入口
1660年にモスクの一部を改装して市場にした
赤レンガの歴史あるバザール。
エジプシャンバザールは日用品や食品の店が
集まり、いつも地元の人々で賑わっているのが
エジプシャンバザールです。
トルコ菓子や乾燥果物が店先に・・
内部はL字型の通り2本のみで全部で80店舗ほど。
でも80店舗同じようなお店が並ぶ光景は凄い!!
香辛料が有名な市場ですから、トルコ独特の
スパイスが店先にズラリと・・・
グランド・バザールが主に観光客相手なのに対して
エジプシャンバザールは地元密着型のイスタンブールの
生活がわかる楽しい市場です。バザールぶらぶら後は
ティタイムです。
バスで移動、ここでバスを降ります。
家に絡まる藤の花、根っこはどこにあるのか?
藤の花を見上げる 圧巻です。 旧市街のセブンヒルズホテル外観
ホテルロビー 屋上レストランにて、旧市街を一望しながら
ティーブレイクを楽しみます。
ツァーのお仲間と記念撮影です。 チャイを頂きます。
屋上レストランからの眺め・・アヤ・ソフィア、マルマラ海を望む。
世界で最も美しいモスク【ブルーモスク】
今回ブルーモスクは修復工事中の為、入ることが
できませんでした。
外観だけでもズームで・・・
世界で唯一6つのミナレット(尖塔)を持つその
美しい威容を眺めながら戴くチャイは、最高です。
お客さんが残した食べ物を狙ってウミネコが
飛んできました。大胆!!

チャイを楽しんだ後は夕食場所へと向かいます。
ここのお家も藤に覆われています。 夕食場所へと
夕食 サラダ・白いスープ・ポテト・ヨーグルト味の白い
食べ物、何だか分かりませんが美味しかったです。
シーフード料理 焼き魚(多分クロダイ)
ビールで乾杯
ほろ酔い気分で夕食場所近辺ぶらぶら、道端いっぱいにテーブルが
伸びるアイスを売るおじさん ホテル リッツカールトンが見えてきました。(19時)
10日目無事終了 長がいと思っていた12日間」も残すところ、後1日になってしまいました。


2018年4月25日、最終日今日でトルコともお別れです。
朝食後イスタンプール観光です。ボスポラス海峡クルーズ、オルタキョイ散策、エミルギャン公園にてチューリップを見ながら公園内散策です。その後昼食・・・昼食はサバサンドを頂き、トプカプ宮殿、観光後、空港へと向かいます。大韓航空、ソウル乗り継ぎ、関西空港へと・・・
朝食バイキング 今日は胃が張って食欲ゼロです。
果物とホットケーキを・・・
 8時30分出発、ガラタ橋を渡り、ボスポラス海峡クリーズ、フェリー乗り場エミノニュ桟橋へと向かいます。
ヨーロッパとアジアの接点に位置するトルコのイスタンプールはボスポラス海峡を挟んで、世界と交流し発展してきました。
ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国と3つの帝国の首都として繁栄した歴史が、ボスポラス海峡沿いに今も色濃く
残っています。世界遺産や宮殿、要塞などを海上から眺めることができるボスポラス海峡クルーズ。壮大な歴史を
肌で感じることができるクルーズに出発です。
長さ約30kmのボスポラス海峡によって、ヨーロッパと側とアジア側との大陸に
分かれるトルコ・イスタンブール。その2つの大陸を眺めながら、アルマラ海から
黒海までを周遊するのが、ボスポラス海峡クルーズです。
前方、ガラタ橋 上部車道 下部はレストラン街 ガラタ橋をくぐりアルマラ海へと・・・
フェリー進行方向ヨーロッパ側の風景 オスマン帝国の王宮だった“ドルマパフチェ宮殿”が
見えてきました。
 
 埋め立てられた庭園という意味を持つドルマバフチェ宮殿は、西洋のバロック様式と伝統的なオスマン様式を
取り入れた壮麗な宮殿です。1843年に着工され1856年に完成して以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が
退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されていました。
 宮殿の総面積は約1万5000平米もあり、それぞれ趣きが異なった285室もの部屋と、43のホールから成り立っています。
宮殿の内部を彩る調度品や名画には、ヨーロッパからの献上品が多く、今でも現役の迎賓館として使われているそうです。

海上からしか全貌を見ることができないドルマバフチェ宮殿は、海側に正門と桟橋を備え、宮殿から公道に出ることなく、
船でイスタンブール市内を自由に行き来できるようにと、埋め立て地に建てられています
フォーシーズンズホテルが前方に・・
19世紀のオスマン様式の宮殿を改装して利用した宿泊施設
です。歴史的な建築と豪華な装飾が調和しています。
 
フォーシーズンズホテル・・・
外温水プール、庭園、ボスポラス海峡のパノラマ風景を
望む広々としたテラスを併設しています。
チュラーン宮殿が前方に・・・ チュラーン宮殿 ボスポラス海峡に接するホテルで
1867年に建てられた宮殿を改装した豪華なホテルです。
チュラーン宮殿を見送ります。 ジャ・カルカヴァンと看板が何の施設?
ガラタサライ大学。 ボスポラス海峡には2つの大きな橋がかかっています。
一つ目の橋をくぐります。
オルタキョイ・ジャミィを望む
クルーズ船はUターン後、ここで下船
一つ目のボスポラス大橋を振り返る。
ヨーロッパ側の風景をワイドで・・・
城壁のような「ルメリ・ヒサル」が前方に・・・ (紫色の木々はハナズオウ)
海峡の幅が狭くなってくるとヨーロッパ側に見えはじめるのが、オスマン帝国の要塞ルメリ・ヒサルです。
1452年、オスマン帝国のメフメット2世が、翌年のコンスタンティノープルの攻撃に備えて、約1万人の
労働者と1000人の石工職人を動員し、僅か4ヶ月で築いたと言われています。黒海から南下してくる
応援部隊を阻止するためとはいえ、海峡幅が約660mの最狭部に築いた砦を海上から見ると圧巻です。
要塞ルメリ・ヒサルと建物群を・・・ 広大な黒海(10kmほど先)が目の前に広がる、この第二ボスポラス大橋は、日本の建設会社が建設したもので、1988年に開通しました。全長1510m、水面からの高さ64mの橋で、瀬戸大橋とは姉妹橋になっているようです。ここでUターンです。
2週間ほど前にコンテナ船がぶつかって
壊れた建物が目の前に・・・
第二ボスポラス大橋を振り返る。
後方に見えるのは城塞アナドル・ヒサール 古い宮殿のような建物が遠くに・・・
第二ボスポラス大橋の手前でUターンした後、
アジア側にはヤルと呼ばれる避暑地の別荘が続きます。
ゆっくり海上クルーズを楽しんでいると現れるのが、
宮殿のようなクレリ軍事高校です。
 
そろそろ下船です。
その前に船内うろうろ
船内から・・・ベイレルベイ宮殿、ヨーロッパの宮殿を
お手本にして1865年に建てられた大理石を多用した宮殿。
ベイレルベイ宮殿はボスポラス大橋のたもとにあり、オスマン帝国のスルタンの夏の離宮として使われていました。
ドルマバフチェ宮殿が王宮で、こちらは離宮です。同じように海側に正門と桟橋を備え、海上からしか全貌を
見ることができない、クルーズならではの見どころです。
オルタキョイ・ジャミィで下船
ここにもネコちゃんが・・・
オルタキョイ”とはトルコ・イスタンプールのヨーロッパ側、
ボスポラス海峡沿いにあるエリアです。オスマン帝国時代は
トルコ人、アルメニア、ギリシア人、ユダヤ人などが暮らして
いた、コスモポリタンなエリアでした。
オルタキョイ・・・お店が並ぶ前は、広場になっています。 可愛いお店が並ぶエリアへと・・・
ここにもネコちゃんが・・・ 果物が並び可愛いお菓子か?? ちょっと見ても
何か分からないものが売られています。
車体を切り取ったようなお店も・・食べ歩きなどができる
ようですが、ガイドさんの後ろをついて行くのみ・・・
エミルギャン公園入口、
こちらは多分裏入口だと思う。
平日なのに大勢の人が・・・観光客ではなさそうです。 ハナズオウは見頃
ヨーロッパとアジアの境界にあるボスポラス海峡近くの公園で、イスタンブールで毎年4月に行われるチューリップ祭りの
期間中には約190種、約280万本ものチューリップが咲き乱れます。トルコの国花でもあるチューリップが広大な敷地の中に
たくさん植えられていて、様々な模様や川のようなデザインにもなっているようですが、ちょっと遅かったようです。
子供たちの遊び遊具、アスレチックで遊ぶ
子供たちの声が響いています。
広い公園を散策路に沿って・・・
散策路に沿って・・・ タンブルと大きな文字の前で記念撮影です。
坂を下ったところに白い洋館が・・・食事処か? 洋館すぐ横に池が、幾つもの滝筋が・・・
池の前のチューリップ ムスカリとチューリップの競演
見るより写真のほうが綺麗です。
チューリップの向こうはボスポラス海峡 公園からは海も見え、色とりどりのチューリップや綺麗な景色を見ていると時間を忘れてしまいます。急いで集合場所へ
入って来る時より大勢の人たちが集まっています。
ランチタイムを楽しんでいます。

私達も昼食場所へと・・・
昼食場所 サバサンドの昼食です。
テラス席もあります。 オレンジジュースとサラダ
スープ サバサンド・・大きなパンにポテト、下には大きな焼きサバが・・
朝から胃が張り食欲ゼロ、一切手を付けず。
お連れさん美味しい美味しいと横で・・・うぅ・・
城壁に囲まれたトプカブ宮殿へと・・・


トプカブ宮殿は、約400年もの間オスマン朝の支配者の
居城でした。敷地内には、ハレム(主君の側室や、
皇帝の子を産むことがなかった側室たち、
また寵愛を受けられなかった侍女たちの部屋)が
あったことで知られています。強大な権力を持っていた
オスマン朝の支配者の居城であったトプカブ宮殿へと・・・

宮殿内にはアヤ・ソフィア側にある帝王の門から入ります。
皇帝門 門前にビクとも動かない兵士が・・ 第一庭園に木立に囲まれた聖エレーネ教会。
第一庭園から帝王の門を・・帝王の門は3つの儀式的門の
最初の一つ。1478年にスルタンメフメト2世が建設
トプカブ宮殿模型・・
ガラスの反射で分かりにくいです
 第一庭園を進むと「挨拶の門」の門があり、
ここから本来の宮殿域となります。

1468年に同じくスルタンメフメト2世が建設。
かつてはここに大砲が設置されていたことからトブ(大砲)
カブ(門)と呼ばれるようになったといわれています。
ここから有料です。
挨拶の門をくぐった先が第二庭園、
パンジーが出迎えてくれました。
 第二庭園に正義の塔と行政機関
第二庭園、政庁の広場に入り、まず最初に目に入ってくるのが、絢爛豪華な入り口の行政機関です。
内部には会議の間、宰相の執務室、客間などが続き、オスマン帝国の行政の中心らしい威厳と風格が漂っています。
陥落させたメフメット2世が、1460年代に現在の場所にトプカブ宮殿を着工し、その後、さまざまなスルタン(主君)が
当時の建設洋式に従って増築が重ねられ、庭園や離れ家などもある複雑な構造になっています。約4000人もの
従者らが暮らしていたといわれ、それ自体が一つの町となっていました。外観からは内部の豪華な生活を
想わせるような感じはありませんが、とがった四角すい状の正義の塔が目立っています。
幸福の門が前方に・・・ 幸福の門・・第三の庭へと続く門
ハレムへと、入った途端に見えてきた
トルコブルーのタイルが鮮やか。
内廷で過ごすスルタンは、内廷とハレムをつなぐ「黄金の道」
を通ってハレムに赴きました。この道を通ってハレムに入る
男性は、宦官を除けばスルタンとごく限られた人々だけでした
 トプカブ宮殿ハレム入口
トプカブ宮殿にハレムが移設されたのはムラト3世の
時代であり、それまでエスキサライ(旧宮殿)側にあった。
トプカブ宮殿の最大の
見どころはハレムです。
黄金の道が奥へと続いています。 ハレムでは、奴隷身分の侍女も含め多い時には
1000人以上の女性が暮らし、その一部がスルタンの
側室となりました。スルタン以外でここには入れる
男性は、黒人宦官と年少の王子のみでした。
母后の部屋・・ハレムの女性たちの憧れは、王子を産み、
その王子がスルタンとなって晴れて母后となることでした。
母后となれば、ハレムの中心に位置する広々とした区画を
与えられ、黒人宦官長とともに最高権力者としてハレムを
仕切ることができたのです。
「皇帝の広間」ですが、私的な空間なのに
これだけの華やかさ。この部屋に入れるのは、スルタンの
母后、第一夫人と愛妾たち、そして子供たちだけでした。
皇帝の間天井 皇帝の間を何枚も・・・
皇帝の間をワイドで
次の部屋へと・・ガイドさんが付いているというのに、部屋の
内装の美しさに気を取られていて、全然聞いていません。
装飾の青いタイルに惚れ惚れ
次の部屋へと・・・ 何が何だか分からなくなってきました。
天井の模様・・・
上ばかり見ていると首がいたくなってきました。
小部屋が迷路のように入り組んだ複雑な構造をしています。壁一面は鮮やかなブルーのタイル装飾がなされており、まさにイスラム芸術の真骨頂とも言える美しさが堪能できます     
愛妾のテラスはハレム見学中に訪れることができます。
ハレム内に捕らわれた100人を超える女性たちが
外界を触れることのできる唯一の場所でした。
100人を超える女性たちが
生活していた部屋
ハレム一回りして元へと戻ってきました。 ハレム入口にあった鏡
ハレムの建物は6層からなり、300の部屋に中庭と通路と階段が入り組む複雑なつくり。
見学できるのはそのうち約20の部屋と中庭などですが、金やタイルの装飾だけでなく、
窓枠などの細部にいたるまで手を加えた壮麗なつくりには目を見張るばかりでした。
自由時間になりました。
宮廷内ぶらぶらです
謁見の間・・・ここでスルタンは政府高官や
海外からの大使たちと謁見しました。
ローブ内に小さな石・・右舷
1セリフ 置くと記されています。
宝物館・・現在修復中です。
庭園ぶらぶらです。 庭園からボスポラス海峡を望む。
12日間一緒だった現地ガイドさんと記念撮影です。
ありがとうございました。
宮廷内の住居へと・・・
後宮 位の高い人の住居のようです バクダット征服を記念して建てられた
優雅な休息所、バクダットキョシュク。
バクダット・キョシュク内部 天井には細かい模様が施されています。
テラス・・前方に見えるのは、アヤ・ソフィア テラスに、イフタリエと呼ばれるこの小さな天幕狂人
スルタンイブラヒムが残した唯一の功績といわれています
軒下や窓枠などの細部にいたるまで手を加えた
壮麗なつくりには目を見張るものがあります。
サンネットルーム ヤズリコダと説明板に
書かれたお部屋内部。
サンネットルーム ヤズリコダと
説明板に書かれたお部屋内部。
ここでの往時の生活を想像すると複雑です。

多くの皇子の殺害、側室や寵姫の絞殺など、あらゆる策略と
陰謀、姦計が渦巻く場所でもあったのです。
例えばスルタン・ムラート三世はお手付けの女は40人、
ハレムの女は400人、子女は112人、同時に揺りかごが
動いていたという。父帝が亡くなるとムラート三世は
即位と同時に、兄弟の皇子たち19人を絞殺、姉妹の
皇女たち24人を幽閉、父帝によって妊娠中のハレムの
女たち17人をマルマラ海で水死させた。 余りにも非人間的な所業も、オスマン帝国の存続のために帝位継承を巡る
紛争を防止するよう考えられた必要悪でした。今では
観光客の華やいだ声があっちこっちで聞こえてきます。

高貴な人の部屋・・
ここの部屋で生活する人はどんな思いだったでしょう。
ハレムの庭園にチューリップとパンジー
二色入り混じったチューリップは真っ盛り 周りを取り囲むように建物があります。
それが厨房です。 厨房内部へと・・・
厨房内は撮影禁止 知らずにパチリと・・・
今は東洋磁気展示室となっており、日本の古伊万里も
収蔵されています。展示の中心は中国の陶磁器で、
収蔵点数は1万を超えているとか。
トプカブ宮殿前にお昼寝するワンちゃん
無防備な姿 大丈夫か
行程全て終了バスの待つ場所へと・・・
アヤ・ソフィアと帝王の門にお別れです。
イスタンプール アタテュルク空港16時42分到着
イスタンプール発21時20分 出発まで4時間以上あるのでツアー
お仲間と、ピザと飲み物を頂きながら話に花が咲きました。
機内から イスタンブールの街並みの夜景を・・・ 機内食20時18分 夕食??
機内食 6時27分(トルコ時間) やっぱり朝食 ソウル仁川空港着陸13時12分
仁川空港内に獅子舞?? 音楽と共に・・・
ソウル仁川空港発15時20分発で帰国の途・・・・ ソウルの上空です。
着陸1時間前の食事です。おにぎりと果物です。 岡山上空辺り・・
淡路島が過ぎ、もうすぐ和歌山上空に・・・ 26日に日本時間16時59分、無事関西国際空港着陸です
 長いと思っていた12日間もあっという間に過ぎてしまいました。